2006年5月22日 (月)

ダヴィンチコードとコーヒー伝播の歴史

週末から俄然と話題になってる映画といえば「ダヴィンチコード」ですね。

私は昨年? いや一昨年ですよね、単行本が発売されてからすぐに読みきった
のですが、内容が複雑でいまひとつ頭の中でスッキリ整理されないでいました。

ところが映画封切りお陰で先週土曜日にはTVでも特番が組まれてダヴィンチが
Lisa0「モナリザ」に込めた暗号の謎解きを追っていましたが、分り
易くて面白くみました。

(もうこれで映画は見なくともいいかなぁ。^^ゞ)
 

その物語の発端を少しだけ書くと、キリスト教の信仰信者の
拡大を恐れて、その対策として当時のローマ皇帝コンスタン
ティヌスが300年も前に磔にしたキリストを神に仕立てて国教とすべく福音書を編纂。
その新約聖書を作ったときに≪キリストは結婚することなく妻もいなかった≫
とする物語を編集したことにたいする話しだ。

これ以上書くとこれから読もうとする方や映画を見てみようとする方には面白
さ半減となるのでやめますが、私の興味はダヴィンチコードがコーヒー伝播と
つながります。

このコンスタンティヌス皇帝が330年に、政治の中心都市として首都をロー
マからコンスタンティノーブルに移しました。その都市が東ローマ帝国の首都
として1000年に渡り繁栄を謳歌し、更にオスマントルコ時代に変わってイ
スタンブールと改名され現在に至っています。

また、ダビンチが生まれたのが1452年。
・・ということは、ダヴィンチが生まれた頃にいまのイエメンのモカやメッカ
でコーヒーが市民の間で初めて飲まれるようになったんだ。(前回の伝播話と
食い違いますが、これはまたの機会に解説します)

また「モナリザ」や「最後の晩餐」を書き上げたのが1505年あたりでしょ
うか。そんな西暦年号も「・・ということは、モナリザが書き上げられた頃に
エジプトのカイロにコーヒーが伝わったんだ。」なんて考えてしまいます。

コーヒー伝播の歴史がモノサシとなって世界史も見ることができる面白さです。

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2006年5月18日 (木)

≪ブン≫がカファとして用いられ始めた

今回の話しの時代は紀元900年ごろです。 


どうやらこの時代に、イスラムのスーフィーという神秘主義者の僧侶たちがエチオピアで飲まれ
ていたブンを見つけカファとして飲み始めたようです。   「ブン」 :今のコーヒーノキの果実を煮出して飲んだ元気の出る飲料
       (エチオピアの原住民が用いた)   「カファ」:イスラムの宗教儀式で使われた飲料の総称で、眠気を覚まし食欲を抑える目的
        のためにカート(茶の若葉)や白ワインなどを用いた。 昨日この頃のイスラム帝国は、どの辺りまで勢力を伸ばしていたかを調べていたんですが、面白
いことに気がつきました。
Spein4
 
昨年の丁度今頃、私はスペインを訪れていましたが、そのスペインに攻め入りキリスト教文化
の西ゴート族を北まで追いやって、世界遺産として残るアルハンブラ宮殿などを築き始めた時
代なんですね。

(そして800年を境にレコンキスタが始まり1200年頃にはイベリア半島からイスラム社会が再び追いやられます。)  東はこのイベリア半島を制圧し、エジプトなどの地中 海にしてる地域は勿 論、東はアラビア半島のメソポタミア地域イランやペルシャ、そして更にインダス川流域のアフガニスタンまでの広大な地域をウマイヤ朝からアッバース朝に渡ってイスラム帝国社会があったのです。  

そんな広大な地域に急激にイスラム宗教が広まったからでしょうか、宗教儀 式で従来≪カファ≫として使っていたカートなどの材料が不足し始めたので す。  

そんなときに南アラビアのアデンに住んでいたザブハーニーという学識に富 んだ律法学者でもある僧侶が、紅海を挟んで対岸にある非アラビア語地域のアムジャに出向いたおり、その地域の人達が飲んでる不思議な飲み物を知ったのです。

それを飲むと疲労感と無気力感が去り元気が出るのを感じて、この飲み物を≪カファ≫として用いることを思いついたのです。  

そのアムジャという地域が今のエチオピアのアビシニアン高原辺りで、飲まれたものはコーヒーの果実を煮出したブンだったのです。

ただこのブンは、まだ今のコーヒーのように茶色ではなく、そのカフェイン効果が注目された煮出し液だったんですね。

そして、この拡大の時代に中央アジアの草原で遊牧していたトルコ人が奴隷 として買い集められ、勇敢な親衛隊として組織してマムルーク兵と言われました。  

このマムルーク兵がやがて軍閥として勢力を伸ばし、ゆくゆくはオスマントルコ帝国を作り上げるのですが、この話しはまた次の回で。  

                それでは、次回もお楽しみに。

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2006年5月 7日 (日)

西洋とアラブに伝わる2大コーヒー伝説

私の運営するネットショップ4月で10周年を迎えたことからここ一ヶ月は感謝セールなどのイベントで忙しくてブログを書くことが出来ませんでしたが、また少しずつ進めていきたいと思います。                             

さて、コーヒーの起源にまつわる話しは2つに大別できます。

西洋キリスト教社会でコーヒー関連の文献で書かれているのが「エチオピアのヤギ飼いカルディ」 もう一つがイスラム社会で受け継がれるのが「聖職者シーク・オマール伝説」です。

ちなみにエチオピアは紀元前10世紀に始まるシバの女王の時代から現在に至るまでアフリカで唯一のキリスト教国家なんですね。

コーヒーが民衆の間で人気を得て飲まれるようになった頃に、それぞれの社会でこの二人を主人公としてコマーシャリズム的に起源伝説が作られ現在に至っています。

カルディを主人公とした話しの展開は、

1)放牧中のヤギが野生の赤いコーヒーの果実を見つけて食べ、元気に跳ね回っていた

2)そして家に連れ帰っても興奮して寝付かないので、アラブの聖職者に相談した。

3)その果実をいろいろ試しているうちに茹でて飲んでみて、その効用に気がついた、

4)そんな中で間違って果実を火に落としてしまったところ、香ばしい香りがしたので拾い上げてすり潰し、お湯を注ぎ飲んでみたところ、より効果が現れた。

聖職者シーク・オマールの伝説は、

1)若い頃にメッカに巡礼に出かけ、途中でモカに立ち寄った際に井戸を掘ったところ聖水が湧き出た。

2)モカの町に流行り病が広まったときに民衆にその聖水を飲ませ治らせた。

3)その噂を聞いた土地の領主は、娘の病も治してもらおうと数日間娘を預けた。

4)治って帰ってきた娘にオマールとの噂話が持ち上がり、怒った領主がオマールを町から追放した。

5)弟子のウザブ達と山中で暮らしていたオマールは食べるものがなくなって、野生のコーヒーの果実を見つけて食べたり茹でて飲んだりしていた。

6)そのうちまた町中で病が広がり、オマールのことを憶えてきた民衆が山中にやってきて乞うので、コーヒーの果実を煎ってすり潰し黒い液体を「これはメッカの聖水ザブザブ同じ霊験ある飲み物だ」といって飲ませた。

この2つの伝説に共通して登場するイスラムの聖職者を考えると、現在のような黒くて熱いコーヒーを飲むようになったのは間違いなくムハンマド(マホメット)が生まれイスラム教を広めた610年以降のことと判断してよさそうです。

それ以前は、アフリカ内陸部でガラ族に代表される遊牧民族のようにコーヒーの果実は単に食されるか、または果肉ごとすり潰したものに動物の脂を混ぜ合わせ団子状にして持ち歩き携帯保存食としたり、煮出して果汁を飲んだりしていたと思われます。

それでもコーヒーの果実が持つカフェイン効果は知られていましたから、今のイエメンに生まれたシバの女王がエチオピアまでも支配した紀元前の時代に、すでにコーヒーの木がアフリカからアラビア半島に移植されたことも考えられます。シバの女王の時代にはすでにエジプトやギリシャの国々と交易が盛んに行われていたので、その交易の帰路にエチオピアのアビシニアン高原で見つけた野性のコーヒーの木をアラビア半島にまで持ち帰ったとしても不思議ではありません。

ただし、上記の伝説に見られるように現在のコーヒーと同じような飲用の開始はイスラム教が広まった以降と考えることが正しいでしょう。

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2006年4月16日 (日)

エチオピアがコーヒーノキの発祥地って本当?

珈琲豆屋さんのサイトや関連書籍では、よく『コーヒーノキはエチオピアのアビシニアン高原が発祥地』と書かれています。

で、これは事実なのかい? 本当なのかいぃ? 誰がそう言っていたんだぃぃ?・・・って考えていたんですが、その答えが分りました!

現在アフリカではマダガスカル島やコンゴの奥地、そしてエチオピアの山岳地帯などにいたる高地に野生してるコーヒーノキが見つかっています。

先日「コピ・ルアク」で書きましたが、アフリカの中央部のどこかでコーヒーノキは発祥し、ジャコウネコ科のコピ・ルアクなどの小動物が食べ、あちこちに排泄物として種子を撒き散らしアフリカ高地に伝播していったのです。

ところがアフリカの多くの民族は、19世紀まで他地域とのつながりがほとんどなかったのです。
しかし唯一、エジプトのアラブ社会、オスマンのイスラム社会、そして西欧のキリスト教社会と古くから交易などで接点があった地域がありました。それが紀元前10世紀にシバの女王が治めていたエチオピア(旧アビシニアン)だけだったのです。

つまりコーヒーノキが自生していた国の中で、エチオピアだけが他の地域国家とつながりが古くからあったということなんです。

ですから、アフリカから初めてコーヒーノキが持ち出されたのがエチオピアのアビシニアン高原だったということから、発祥地として言い伝えられていったということです。

いやいや、なかなか伝播話しがエチオピアから出られませんが、それだけコーヒーは文化史の大きな謎の一つなんです。。。って頭を悩ましてるのは私だけか。(笑)

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2006年4月10日 (月)

美味しく淹れる呪文「コピ・ルアク♪」

 この話しは≪コーヒーの伝播≫から少しだけ脱線をしてしまいますが。。。

 昨日の休日に、シネスイッチ銀座という小さな映画館で上映されてました
 「かもめ食堂」という映画を見てきました。

    原作:群ようこ(幻冬舎)
    出演:小林聡美・片桐はいり・もたいまさこ

    ⇒ http://www.kamome-movie.com/
 

 話しは一人の日本女性がフィンランドで日本食堂を始める。その店で展開す
 るほのぼのとした日常を描いたものです。

 で、ストーリーの中でお客の中年男性が美味しいコーヒーの淹れ方を店主に
 教えてくれ場面があります。 実は彼はこの店が「かもめ食堂」になる前に
 同じ場所でカフェを営んでいた主人だったのです。

 で、教えてくれた美味しい淹れ方のコツとして、お湯を淹れる前に呪文を
 唱えるのです。

 注湯する前に人差し指で粉に穴をあけ・・「コピ・ルアク♪」

 
 映画を見てるときは、この呪文「コピ・ルアク」が特に意味することが
 何かあるとは考えていませんでした。

 
 映画が終わった後に、銀座で食事をしてブラブラ歩きながら東京駅近くの
 ブックセンターに立ち寄りました。

 そこで本としてはちょっと高価で分厚い『カフェイン大全』という翻訳本を
 購入して帰りました。

 この『カフェイン大全』は米国のサイエンスライターのベネット・アラン・
 ワインバーグという人が書いたコーヒーを生業とする私にとってはとっても
 面白い本です。

 で、家について早速パラパラめくっていると、≪コピ・ルアク≫という文字
 が目に飛び込んできたのです。

 そのことが書かれてる12章を読んでみると、簡単にはインドネシアに植え
 られたコーヒーノキが現地に生息するジャコウネコ科の「ルアク」と呼ばれ
 る動物に食べられて排泄されたコーヒー豆が≪コピ・ルアク・コーヒー≫と
 して、1994年に世界でもっとも高価なコーヒー豆として欧州で売られて
 いたそうです。

 値段は1ポンド当たり105ドルといいますから、1ドル120円として
 ¥12300/453g・・・ということは¥5430/200gです。

 その香味は、重くかび臭くカルメラ風の味と香りがあるという人もいれば、
 匂いがきつくて人を寄せ付けないと評するものもあるとかで、決して美味
 しそうではありません。

 
 話しをコーヒーの伝播に戻しますが、人間がコーヒーノキの苗木を持ち出し
 てコーヒーベルト地帯に広めたばかりでなく、この「ルアク」のようにネコ
 科の小動物やサル、鳥などが熟した美味しいコーヒーの果肉を食べて、消化
 できなかった種を排泄して、自然伝播したことも当然ながらあったというこ
 とですね。

  
                               ではまた、乞う ご期待♪

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2006年4月 8日 (土)

1582年ごろの世界の飲み物文化

それでは、のんびり≪コーヒー伝播≫の話しを進めていきましょう。

ヨーロッパの貴族や富裕層の人たちがオリエントの飲み物であったコーヒーに関心を向けた1582年頃に、嗜好的な飲み物として彼らは何を飲んでいたのでしょうか。

実はこの時代は、嗜好的な飲み物文化が大きく3つの世界に分かれていたんです。
その3つの世界を簡単に整理してみましょう♪

・イスラム社会
オスマントルコの中心都市であったコンスタンチノーブル(今のイスタンブール)で世界初の珈琲ハウスができたのが1554年と言われています。 同様にエジプトのカイロ、シリアのダマスカスなどのイスラム社会でもコーランの教えでアルコールを禁じられていましたから≪コーヒー≫が飲み物として多くの民衆に飲まれ始めていたのです。

・キリスト教社会
一方その当時のヨーロッパでの飲み物は?・・・・といいますと、 キリストが最後の晩餐で12人の弟子たちと食事をしたときに『パンは私の肉体、そしてワインは多くの人の罪の許しを願うために流す私の血』だと話して分け与えたことから、修道院などでせっせと造られ嗜好的な飲み物として広まったのがワインです。
そして、ワイン同様にヨーロッパではアルコール飲料が人気を集め、アルコール三大飲料としてビール、シードル(りんご酒)も飲まれていました。
フランスでアルコールを飲ませる店として「キャバレー」と称される店が広まったのが13世紀ですが、ヨーロッパの街中には一杯飲み屋が大繁盛してました。

ですので余談ですが、ヨーロッパにカフェ文化が広まり始めたときに婦人たちは喜んだんですね。 飲んだくれの男性陣が減ることと、家に閉じこもっていた女性たちもカフェなら出入りすることが許されるようになるからなんです。


・アジアの儒教仏教社会
その点、日本ではこの当時に織田信長に贔屓にされた千利休のお茶の文化が始まってます。  ヨーロッパ貴族の酒池肉林に比べて、何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すという「わび茶」世界を完成してるのですから日本文化は凄い!と言わざるを得ません。^^

このお茶文化は中国を起源として、アジアの儒教仏教社会に広く根付いていったのです。

◆アルコールしか飲まなかったヨーロッパのキリスト教社会。
◆アルコールを禁じられてコーヒーを飲んだオリエントのイスラム社会。
◆アルコールもお茶も飲んだアジアの先進国儒教仏教社会。

この三世界に分かれていたというのが面白いと思いませんか。

                   ではまた続きを、乞う ご期待♪ ^^ゞ

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2006年4月 7日 (金)

和食派ですか、洋食派ですか?

私の店ではご注文の際にお客様にローストの指定をお願いしてます。

 浅煎りのミディアムを好むお客さん。
 バランスの取れたシティやフルシティを好むお客さん。
 そして濃厚なコクを求めて深煎りのフレンチを好むお客さん。

ほんとうに、いろいろ、ですね。

で、ふっと、考えたんです。。。。。

この皆さんの嗜好の違いは、どこから来るのだろうか、と。
皆さんは、どうしてそのローストが好みなのかをご自身で考えたことがありますか?

例えば、、、

○昔よく通った喫茶店で飲んだコーヒーが、そのロースト香味だったから。
○ヨーロッパへ旅行したときに美味しい!と思ったコーヒーがそれでした。
○コーヒーは最近飲み始めたけど、スターバックスで美味しかったから。
○昔から家族で飲んでたコーヒーがそのローストのコーヒーだから。

・・・なんてかんじで、いろいろあると思うんですね。

ですが、私はふっとした思い付きで一つの仮説を立ててみました。

それは、表題にもしました≪食事の好み≫です。

その人が普段どんな食事を好んで食べてるかにかかわってるのではないかと考えたんです。
つまり、日本食が好きなのか、洋食が好きなのかです。

この場合の≪食事の好み≫ですが、
・今日は何が食べたい?って聞かれたときに答える食事。
・または、お昼時に外食で何を食べるか?
です。

そんな風に考えたときに、
ミディアムを好む人は、日本食好みなんではないだろうかと。
反対に深煎りを好む人は、洋食好みではありませんか。

ヨーロッパへ行くと、それぞれの国で飲むコーヒーのローストが一定です。

それは普段の食事から含めて嗜好が一定なんで、日本のように日本食や中華や洋風料理など、当たり前のようになんでも選択できる環境ではコーヒーのロースト嗜好もいろいろだったりするのではないかと考えてみたんです。

この仮説は、当たっていますかね。

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2006年4月 4日 (火)

スタートは1582年

どうもまだブログのシステムが十分理解できていないのですが、少しずつ始めてみます。

さて、私たちは学校教育で日本史と西洋史を別々に教わりました。
そんな歴史教育をする国は珍しいそうです。
日本と世界をリンクさせて学ばないと歴史はなかなか掴みづらいものなんです。

そこで、ひとつのキーワード≪コーヒー≫からどんな歴史が見つかるか。

そんな実験として、私のネット店のお客様に読んでもらうメルマガで連載を始めたんです。題して『コーヒーの伝播を追って世界と日本の歴史を訪ねる』

このテーマに沿っていろいろ調べているんですが、自分でも面白くて夢中になってきてます。


スタートは1582年。
この年にドイツの医者であり植物学者のレーオンハルト・ラウヴォルフという人物が3年間ほどオリエントを旅行して帰ってきて報告記を書いてます。

その中で、オリエントで飲まれてるチャウベと呼ばれてたコーヒーの話を初めてヨーロッパに伝えたとされてます。


では、この1582年に日本では何があったか?

その年の6月に織田信長が本能寺の変で死亡しました。
そして一方、九州のキリシタン大名が4人の少年を遣欧使節団としてローマ法王に謁見させるべく旅立たせました。


となると、その頃のヨーロッパはどんな情勢だったのかと調べると、ポルトガルとスペインが1580年に併合した大航海時代の真っ只中。 ポルトガル人やスペイン人が船で世界中を駆け巡り、キリスト教の布教活動(如いてはヨーロッパ世界の拡大)が行われてます。

そうやって芋づる式に調べていきますと、面白い発見が次々と出てきます。

                           乞う ご期待♪

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2006年4月 1日 (土)

旅路の前のウォーミングアップ

コーヒーの伝播を追う旅に出る前に、もう少しココログでのウォーミングアップをしてみたい。

記事を書くときにタイトルを入れ「カテゴリー」を選択することになってるが、私のテーマはどこに所属すると考えたほうがいいのだろうか。 飲み物としての<コーヒー>を考えれば「グルメ・クッキング」が落ち着きがいいのかもしれないが、<伝播を追う>のだから「旅行・地域」かもしれない。

でも私としては、旅路の終着点としてコーヒーという飲み物が創りあげてきた空間環境や得られる時間から及ぶ文化を見据えてみたいと考えてるので「文化・芸術」カテゴリーを選んだ。

さてあとは、トラックバックなどブログ特有のシステムをもう少し理解してから出発をしたいと思う。

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2006年3月31日 (金)

ブログを始めてみる

私はコーヒー豆の自家焙煎店を営んでます。

取り扱うコーヒーの銘柄は世界30カ国以上40銘柄にも及びます。

そんなコーヒー豆がエチオピアのアビシニアン高原で見つけられてからどのように広まってきたのかをじっくりと追ってみたいと思ってます。

そして、その調べた経過をブログで記事にして興味ある方々と意見交換しながら模索していければ楽しいとのではないかと始めてみました。

まだブログ自体がどのような構成システムになってるのか分からないので、見づらい部分もあるでしょうが進めていきます。 よろしく。

・・・って書いてみたけど、どのように自分のブログで記事表記されるんかいな。^^ゞ

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